翌朝。
ベルとアレクは、広場に村人たちを呼び集めていた。
滅びかけているとはいえ、一国の王子の呼びかけに応じない村人はいない。
アレクとベルを、物珍しそうに眺めている者も多かった。
とはいえ、それは昨日ベルが起こした虐殺をこの目にしていないものたちだけだったが。
「これだけ多くの人々の前で話すのは、初めてだな……」
じっとりと汗ばんだ手を握りしめるアレク。
緊張していないと言えば嘘になる。
今から自分のする話が、多くの人々を苦しみに追いやることになってしまうということが、わかっているからだ。
「大丈夫ですよ、アレク様」
「ベル……」
「アレク様は正しいことをする。神様もきっと、それを望んでくださっているはずです」
聖母のような微笑みをたたえながら、ベルはアレクのことを見つめている。
その視線が少し気恥ずかしく、それから逃れるようにアレクは口を開いた。
「――皆、集まってくれてありがとう」
皆が、思い思いの表情でアレクのことを見ている。
その瞳に映るのは、いったいどんな姿なのだろうか。
アレクは、覚悟を宿した瞳で皆に語りかける。
「ランデアの王城は陥落した。今王城は、『解放軍』の手にある」
アレクのその言葉に、皆がざわついた。
無理もないことだろう。
それが事実なのだとしたら、ランデアはもう終わりなのだから。
「だが僕は諦めていない。僕がまだ生きているからだ」
生きている限り、諦めることはできない。
諦めるには、アレクは色々なものを背負いすぎている。
「ランデアを『解放軍』から取り戻すために、協力してほしい。この通りだ」
そう言って、アレクが頭を下げる。
そんな姿に、皆の顔には困惑が浮かんでいる。
どうすればいいのかわからない、といった表情だ。
広場には、居心地の悪い静寂が満ちている。
アレクは自分の失敗を悟った。
思えば、人々の心を動かせるような演説を練習したことなど、今まで一度もなかった。
「アレク様。ちょっと交代しますね」
「お、おい!」
ベルはそう言って、アレクを押しのけてしまった。
村人たちは、一国の王子であるはずの彼を押しのけて出てきた少女を、物珍しそうに眺めている。
「わたしはアレク様の強い意志に感銘を受け、ランデアを救わんとする者。名を、聖女ベルと申します」
そう軽く自己紹介を済ませてから、
「――皆さんには、大切なものがありますか?」
静かな、静かな声だった。
静かで、だがどこか温かく、穏やかな声。
「ベル……」
彼女の声は、不思議と心の奥底に入り込んでくる。
それは不思議な感覚だった。
「皆さんには、大切なものがありましたか?」
その問いかけに、一部の者たちが凍り付いた。
彼らは『解放軍』に大切なものを蹂躙され、奪われた者たちだった。
「わたしたちの大切なものは、大切だったものは、奪われてしまいました。家族も、友人も、隣人も。彼らと会うことは、もう二度と叶いません」
大切なものがあった。
だがそれは奪われてしまった。失われてしまった。
殺されずとも、心に癒えることのない傷を負った者たちも、大勢いる。
「ここにいるアレク様もまた、父であるランデア王を『解放軍』に打たれました。『解放軍』を許せない気持ちは、皆さんと同じです」
それを聞いて、皆がハッとした。
ランデアの王城が陥落しているのなら、そこに住まう王が殺されてしまったのも不思議ではない。
一国の王子であるアレクもまた、自分たちと同じ苦しみを抱えている。
自分たちの苦しみを、理解してくれるに違いない。
そう思った。
「皆さんは、わたしたちの大切なものを奪い、踏みにじり、蹂躙していった人間たちを許せますか?」
「――許せない」
村人のうちの誰かが声を上げた。
許せない。許せるわけがない。
どうして自分たちが、こんな目に遭わなければならないのか。
「――許せない」
また、誰かの声がした。
それはここに集まった者たちの総意であり、強い負の感情の顕現だった。
「皆さんの大切なものを奪い、踏みにじり、蹂躙していったのは、『解放軍』です」
「解放、軍……」
その名前を、どんな思いで聞けばよかったのだろうか。
怒り。
憎しみ。
恨み。
ありとあらゆる負の感情が積もり、自分を見失いそうになる。
「わたしたちは皆、『解放軍』にすべてを奪われたのです」
そうだ。その通りだ。
やり場のない怒りがふつふつと沸き上がる。
この衝動を、この思いを、どうやって抑えればいいのか、誰もがその答えを求めていて、
「――立ち上がりなさい」
「――――」
だからその言葉は、民衆の心に深く、深く響いた。
答えの出なかった問題に、これ以上ないほどの答えを提示されたような錯覚すら覚える。
いや、それは錯覚ではなかったのかもしれない。
「今こそ立ち上がる時です。『解放軍』に奪われたものを、ランデアの誇りを、皆が力を合わせて取り戻すのです」
「そうだ! その通りだ!」
ベルの言葉に、誰かが叫んだ。
一つだった声は次第に大きくなり、民衆たちを飲み込んでいく。
大きな流れを止めることは、もう誰にもできない。
「さあ、アレク様」
「あ、ああ」
アレクには、目の前の光景が信じられない。
ベルには扇動者としての才能があるに違いない。
そのことに薄ら寒さを感じながらも、今はその助力が必要だった。
「――ランデアの王城を、奪還する。皆で、ランデアを取り戻そう」
全てが爆発したような、今までで最も大きな歓声が上がった。
皆がひとつになり、大きな目的に向かって邁進していく。
そんな予感を胸に、ベルはにっこりと微笑んだ。