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聖女さま、決める

 アレクは混乱していた。

「んー! このおさかなすごくおいしいですね! こんな味付けのおさかな初めて食べました!」
「聖女さまに喜んでいただけると、作った甲斐がありますね。この魚の味付けはポルダ特有のものです。ここラインボートなどのランデアの東部以外では、あまりない味わいだと思います」
「なるほど! どうりで食べたことのない味なわけですね!」
「ささ、どんどん食べてください。聖女さまはこの村を救ってくださった英雄なのですから!」
「えへへ、それじゃあ遠慮なく……アレク様もいただきましょう?」
「あ、ああ……」

 ベルに誘われるがまま、アレクは目の前の魚料理に手を伸ばす。
 川魚特有の淡白な味わいだが、臭みはほとんどない。
 最近は食事の量が少なかったこともあってか、空腹感はある。
 だが、あまり食欲はなかった。

 アレクの忠臣たちは、その全員が大男が率いる『解放軍』の兵士たちに殺されていた。
 ベルはアレクの救出には間に合ったが、彼らを救うことはできなかったのだ。
 もちろんそのことでベルを責める気など無かったが、拭いきれない喪失感があるのは事実だった。

「……」

 胃に重い鉛が入っているような感覚がある。
 正直なところ、まだあまり実感はない。
 彼らは志半ばのところで力尽きたのだ。
 今のアレクにできるのは、彼らの遺志を引き継ぎ、ランデアを再興すること。
 それだけだった。

 ベルは楽しそうに、村人に提供された魚料理に舌鼓を打っている。
 そんな彼女の表情を見て、村人たちは引き攣るような笑顔を浮かべていた。

 無理もないことだろう。
 彼女は村を滅ぼしかけた『解放軍』の兵士たちを、一人で殲滅してしまったのだ。
 それはつまり、彼女一人が村を滅ぼしかけた『解放軍』以上の力を持っているということに他ならない。

 彼女の機嫌を損ねてしまえば、その強大な力の矛先が、いつ自分たちに向いてもおかしくない。
 そんな風に思ってしまうのは自然なことなのだろう。

 彼女は一体何者なのだろうか。
 最初見たときは、ただの変わった村娘としか思っていなかったが、これほどの武勇を誇る少女が、ただの村娘のわけがない。
 『果ての森』に住んでいたというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。

「……はぁ」

 ……これから、どうするか。
 それが今のアレクにとって最大の問題だった。

 アレクについてきてくれた忠臣たちは死んでしまった。
 今のアレクは王族とはいえ、もはやなんの力もないただの青年と言ってもいい。
 ランデアを再興するにしても、戦う力がない。

「……少し、風に当たってくる」

 そう言い残し、アレクは外に出た。
 一人になりたい気分だった。

 夜の村は静まり返っている。
 生き残ったものたちは、一様に集まって宴に参加しているのだから、当然のことではあるが。
 皆が、受け止めきれないほどの悲しみを抱えていることなど、言われなくてもわかる。
 その原因が、自分にあることも。

「……」

 アレクの視界に入ってくるのは、破壊された住宅や焼け焦げた跡だ。
 町のいたるところに、苛烈な略奪の痕跡が残されている。
 それを目の当たりにするたび、アレクの胸は締め付けられた。

 すべて、国に力がなかったから起きたことだ。
 帝国に対抗しうる力があれば、彼らが死ぬ必要はなかった。
 さらに言えば、アレクたちがポルダに亡命しようと思わなければ、彼らが殺されることもなかったのではないか。

 思考が乱れる。
 これからどうすればいいのか。
 答えのない袋小路に迷い込んだような錯覚を覚える。

「あ……」

 考え事をしながら歩いていたせいで、いつの間にか村の入り口のところまで来ていた。
 村の外の森には、どこまでも続くような暗闇が広がっている。
 アレクは、それが自分を優しく包み込んでくれるような感覚を覚えた。

 見えない何かを求めるように、アレクはふらふらと歩き出す。
 その先に自分の求める何かがあるような気がして――、

「一人で出歩くと危ないですよ?」
「ッ!!」

 ギョッとして振り向くと、ベルが呆れたような顔で立っていた。
 いつからそこにいたのだろうか。気配などまったくなかった。

「まだ『解放軍』の兵士が近くにいるかもしれませんし、アレク様の命を狙う人が隠れてるかも」
「……それは」
「今までアレク様を陰から守っていてくれた人たちはもういないんですから。気をつけないとダメですよ?」

 たしかにベルの言うとおりだ。
 近くに『解放軍』の兵士がいないとも限らないし、ランデアに恨みを持つものがアレクの命を狙って潜んでいないとも限らない。

 それに、アレクを守ってくれる忠臣たちは、もういないのだ。
 これからは特に身の回りには気を付けなければならない。

「そう、だな……。すまない」
「それとも、わたしが楽にしてあげましょうか?」

 アレクの首筋に、冷たい感触が押し付けられる。
 月明りに照らされて、それは鈍い銀色の光を発している。
 アレクを助けたときに、『解放軍』の兵士たちを屠るのに使われた短剣だ。

 不思議と恐怖はなかった。
 それどころか、不思議な安心感すらある。
 彼女の突き付けているそれに、微塵も殺意が感じられないせいだろうか。
 殺意がないというだけで、アレクが楽にしてくれと彼女に頼めば、何の躊躇もなくその刃を振るうに違いないが。

「……必要ない。僕にはまだ、やるべきことがあるからな」
「あなたはもう一人です。それでも、ですか?」
「当たり前だ。僕はまだ生きている。生きている限り、僕は諦めるわけにはいかない」

 森の暗闇は、いつもと変わらない静謐さを保っている。
 もうアレクを呼んでいるような気配はなかった。

 ベルは短剣をアレクの首筋から離し、アレクに向き直る。
 その顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。

「……わかりました。それならわたしもお力添えいたしましょう」
「え?」
「アレク様はこれからランデアを再興しようとしているのでしょう? わたしにも、そのお手伝いをさせてください」

 アレクは驚き、突然の提案をしたベルの顔をまじまじと見つめる。

「……わかっているのか? 僕はこれから『解放軍』と戦おうとしているんだぞ?」
「アレク様こそ、一人きりでは何もできないと思いますけど」
「うぐ……。それは、そうだが」

 アレク一人では何もできない。無力な存在だ。
 でも、ベルの力があれば、あるいは。
 その超人的な力をもってすればあるいは、ランデアを『解放軍』の手から取り戻すことができるのではないか。
 アレクにとっても魅力的な提案であることは間違いない。

 だが、

「……君はどうして、僕に協力しようと思ったんだ?」

 それだけは確認しておかなければならなかった。
 彼女がなぜアレクの、ランデアを『解放軍』から救うという使命に賛同してくれるのか。

 ベルは夜空を見上げた。
 アレクも自然と、彼女と同じように視線を向ける。

 頭上には満点の星空が広がっている。
 思えば、こうして夜空を見上げたのは随分と久しぶりな気がした。
 最近は特に、ずっと地面ばかり見て歩いていた。

「同じだと思ったのです」
「……同じ?」
「アレク様がお救いになりたいと思っている人たちと、わたしが救わなければならない人たちは、同じだと思ったのです」
「……なるほど。でも僕が志半ばで倒れるとは思わないのか? まして今の僕はたった一人だ。頼りだった人たちも、もう……」
「大丈夫ですよ。なんとかなります」

 ベルはアレクの手を取り、それを両手で包み込んだ。
 柔らかく、ひんやりとした感触に包まれて、アレクは不思議な安心感を感じていた。

「一緒に、みんなを幸せにしましょうね」

 そう語りかけるベルの笑顔は本当に綺麗で。

「あ、ああ。それじゃあ、これからよろしく頼む。えっと、ベル」
「はい。おねがいされました」

 こうして、アレクとベルはお互いの目的のために協力することになったのだった。

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