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聖女さま、まにあう

「……アレク様? どうかされましたか?」
「……いや。なんでもない。気にしないでくれ」

 先導する衛兵に気のない返事をしたアレクは、ふと空を見上げた。
アレクの気分とは裏腹に、頭の上の空はどこまでも青く澄み渡っている。
それは彼にとって憎たらしいほどだった。

 アレク達は現在、ランデアを抜けポルダへと向かっている。
王都がモンブルム帝国の『解放軍』によって陥落し、父である王が殺された時点で、もはやランデアも彼にとっては敵地も同然。
追跡の手を振り切り、なんとかポルダの国境近くまでたどり着いてはいるが、油断はできない。

 そもそもポルダが敗残国の王子であるアレクを受け入れるのか。
仮に亡命に成功したとしても、ポルダ側にペリゴール帝との交渉カードに使われるのがオチではないか。
それに、自分がここで生き延びたところで、一体何になるというのか。

「――ッ!」

 そんな思考に至った瞬間、アレクは思い切り自分の腹を殴った。
生き延びることに疑問を抱くなど、あってはならないことだ。

 今のアレクの命が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのかを思い出す。
王である父は「お前は逃げろ」と言い、秘密の地下通路からアレクのことを逃がしてくれた。
彼は逃げなかった。
完全に王城を包囲され、城とともに運命を共にするのだと、覚悟を決めた眼をしていた。

 ここに至るまでの道中も、『解放軍』の連中に命を狙われることが何度もあった。
そのたびにアレクは死にかけ、アレクの代わりに誰かが死んだ。

 数えるのも馬鹿らしくなるほどの犠牲の上に、今のアレクは立っているのだ。
彼らの無念を晴らすためにも、アレクはまだ死ぬわけにはいかない。

 陥落した王城を奪還し、ランデアを取り戻すこと。
それが今のアレクに託された使命なのだから。

「もう少しでポルダの国境です。そこまで行けばひとまずは安全かと」
「……ああ。そうだな」

 ランデアとポルダの国境は大きな川になっており、船でなければ移動はできない。
ここまで急速な停滞はしてこなかった『解放軍』も、ポルダ侵攻には入念な準備をしてから行うのではないか、というのがアレクの予想しているところだ。
大軍を船に乗せて移動させるのはそう簡単にできることではない。それ相応の時間が必要なはずだ。

 だから、アレクは気づくべきだったのだ。

「こ、これはいったい……」

 ――船がなければ動けないのは、こちらも同じだということに。

「……なんということだ」

 ポルダとの国境にある村は、筆舌に尽くしがたいほどの状態だった。
死臭が辺りに漂い、壮絶な最期を迎えたであろう村人たちの死体がそこらじゅうに転がっている。
何が起きたのかは明白だった。

 それは、つまり。

「お、来たか。意外と早かったな」

 村の中心部、住民たちの憩いの場であったであろう場所に、大男が座っていた。
近くには下卑た笑いを浮かべた男たちと、村の若い女たちが座っている。
何をさせられていたのかなど、想像に難くなかった。

「お前がランデアの王子か? まだガキじゃねぇか」
「……『解放軍』の者だな」

 アレクがそう尋ねると、大男は鼻で笑い、

「ああ、そうだ。残念だったな。もう少しで命は助かったのに」

 大男が立てかけてあった巨大な斧に手を伸ばした瞬間、アレクは悪寒を感じた。
それは間違いなく、アレクの本能的な部分が、ある予感を感じてしまったからだ。
――自分の命は、ここで終わるのだと。

「アレク様! お逃げくださ――」

 衛兵が言い終わるより前に、彼の頭に巨大な斧が食い込んでいた。
まるで何かの悪い冗談のように、身体の途中までが真っ二つになった衛兵の身体が崩れ落ちる。
そんな光景を間近で見て、アレクは動けなかった。
動いたら、次は自分がああなる番だ。
そんな予感があった。

「アレク様! 早く!」
「ぼ、僕は……」

 二人目の衛兵が大男の一撃を辛くも受け止め、アレクに激励の声をかける。
それを受けても、アレクは動けなかった。

「なかなか頑張るな。そろそろ死ねよ」

 大男の斧が衛兵の頭に少しずつ近づいていき、やがて彼の頭蓋をたたき割った。
彼が稼いだ数秒という時間を、アレクは無駄にした。

 ほかの男たちも次々とアレクの衛兵たちと交戦し始めている。
もはや一刻の猶予もなかった。

「クソ……ッ!!」

 大男に三人目の衛兵が切り殺されたところで、アレクはようやく走り始めた。
忠臣達と歩いてきた道をさかのぼるように、ただ自らの命を拾うために。

「逃がすな! あの小僧の首を取れば一生遊んで暮らせるぞ!」

 大男の笑い声と共に、男たちがぎらついた視線をアレクに向けながら迫ってくる。
その瞳は欲望でドロドロに濁っていた。
アレクの首には、本当に自分たちが一生遊んで暮らせるほどの価値があるのだろう。
彼を人ではなく、自身の欲望をかなえるための道具としてしか見ていないその視線が、なによりもおぞましかった。

「はぁっ……はぁっ……はぁ……ッ!」

 ただひたすらに走った。
後ろを振り返ったら飲み込まれる。
飲み込まれ、何もできないまま無残に殺される。
それは、このままでは確実に訪れるアレクの確定した未来だった。

「あ……ぐっ!」

 足がもつれ、アレクは地面に倒れ込んでしまった。
ギリギリの均衡が破れた瞬間だった。

「はぁ……はぁ……ったく、手間取らせやがって!」
「ぐうっ!?」

 追いついた男たちが、地面に倒れ伏すアレクを足蹴りにする。
それはアレクが今までに経験したことのないほどの痛みだった。

 痛みで朦朧とする意識の中で、不思議と苦しみは少なかった。
これまでアレクを信じてついてきてくれた忠臣たちに、自分が今味わっている苦しみよりも、はるかに恐ろしい痛みや苦しみを味合わせてきたことが、申し訳なかった。
ただ、それだけだった。

 ……だが、いつまで経ってもアレクの意識が途切れることはなかった。
蹴られた腹や背中が、鈍い痛みを主張し始めている。

「……生き、てる?」

 自分がなぜ生きているのかわからない。
そんな状況の中で、つい先ほどまでアレクを足蹴にしていた男たちが、すぐ近くで倒れ伏しているのに気付いた。

 その全員が、胴体と首を離して。

「――よかった。なんとか間に合ったみたいですね」

 どこかほっとしたような少女の声が、アレクの耳に妙に心地よく響いた。

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