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聖女さま、おもてなしされる

 暖かな暖炉の火が、部屋の中をぼんやりと照らしていた。
 テーブルの上にはパンやスープ、サラダ、何の肉なのがわからない肉料理などが所狭しと並んでいる。

「んー! おいしー! このパンすっごい柔らかいですね! このスープも野菜のうまみが染み出してておいしい……!」

 そのテーブルの前に、一人の少女が座っていた。
 ひとつひとつの料理を食べては舌鼓を打ち、幸せそうな表情をしている。
 その様子だけ見れば、なんということはない、ただの少女にしか見えない。

「でも、ほんとにいいんですか? こんなにたくさんごちそうになって」
「もちろんです。あなたさまは暴虐の限りを尽くす『解放軍』から、この村をお救いくださった。まさに聖女さまと呼ぶにふさわしいお方。わたしたちにできることならなんでもさせてください」

 少女の声に応えるのは、少女の向かいに座っている老人だ。
 禿げ上がった頭は白髪混じりで、目尻には深い皺が刻まれている。
 彼がこの村の村長である。

「そこまで言われたら仕方ないですね! それじゃあ、ありがたくいただきますね!」
「え、ええ……」

 内心でダラダラと冷や汗を流しながら、村長は笑顔を取り繕って少女の応対をしていた。
 「そもそも、もう食べ始めてるだろう」などとは口が裂けても言えない。

 相手は素性もわからない、しかし圧倒的な強さを持つ化け物のような人間だ。
 たった一人で、百人近くいた『解放軍』の兵士たちを皆殺しにしてしまったのだから、その力は折り紙つき。
 今は比較的穏やかそうな表情をしているが、相手がどんなことで豹変するかわからないというのは恐ろしい。

「それで、謝礼の件なのですが……」
「謝礼?」

 肉を頬張りながら、ベルは首を傾げた。

「村を救っていただいたことには大変感謝しているのですが、つい先日アレク様の御一行に食糧を提供したこともあり、村の備蓄がもうほとんどないのです。なので、ベル様に十分な謝礼がご用意できるかどうか……」
「待ってください村長さん。わたしは今回のことで特別に謝礼をいただこうとは考えていません」

 ベルは居住まいを正し、凛とした表情で村長の言葉を遮った。
 つい先ほどまで口いっぱいに頬張っていた肉は、もう飲み込んだらしい。

「それは……しかし……」
「わたしは人々を幸せにするために参りました。これでわたしがこの村の財を謝礼と称して強奪したとしたら、それは先ほどの賊と何が違うのでしょうか?」
「……ありがとうございます。ベル様の寛大なるお心に感謝いたします」

 村長は改めて、深々と頭を下げた。
 彼としては、村に害意を持っていないというだけでありがたい。
 少なくとも村を襲った『解放軍』の人間たちより、遥かに話が通じそうだという安堵があった。

「さて。それじゃあ名残惜しいですけど、そろそろお暇しますね。ごちそうさまでした。美味しかったです」

 ベルが両手を合わせると、大量にあったはずの料理が皿の上から消えていた。
 決して少ない量ではなかったはずだが、いったいいつのまに食べ終えたのだろうか。
 村長は首を傾げた。

「もうお行きになられるのですか? もう少し休まれても」
「お気持ちはありがたいのですが、そういうわけにもいきません」

 ベルは胸に手を当てて、その紅色の瞳を閉じる。
 それは憂いているようにも、神に祈りを捧げているようにも見えた。

「まだ鐘の音が聞こえるので、たぶん生き残りがいるんだと思います。彼らを殺さないと、また罪のない人々が死ぬことになるでしょう」
「鐘……? いえ、それよりも生き残りがいるというのは……?」
「たしか『解放軍』でしたか? このあたりにいるのは粗方片付きましたが、どうやら残っていたようですね」

 彼女の言葉に、村長は考えを巡らせる。
 『解放軍』の絶対的な目的は、この大陸を統一することだ。
 モンブルム帝国の『狂帝』ペリゴールの名の下に組織された軍隊は、その狂気が伝染するように大陸中を飲み込まんとしている。

 その魔の手は西のヘルネを飲み込み、このランデアをも飲み込んでしまったという。
 それはつまり、『解放軍』によってランデアの王城が陥落させられたことを意味していた。
 ランデア王が討たれたという話も、アレクから聞いた。

 アレクから聞いた話は村長にとって信じられないものだったが、彼の身の上を考えるとそんな突拍子もない嘘をつく理由もない。
 この辺境の村が『解放軍』に狙われるのも、遅かれ早かれという状況ではあったのだろう。
 そんな現在の状況を踏まえると、村長はひとつの結論に至らざるを得なかった。

「……もしかすると、アレク様の命を狙っているのかもしれません」
「アレク様、というのは? 高貴な家系の方なのですか?」
「アレク様はランデアの第一王子です。東のポルダに向けて、安全な場所を探して旅をされていたのだとか……」

 だが、ペリゴール帝に追われる身となった彼にとって、安全な土地など、もはやどこにもないのではないか。
 村長はそう思わずにはいられなかった。

「なるほど。それはなんとしてもお救いしなければいけませんね」

 ベルが立ち上がると、村長は訝しげな声を上げる。

「……まさか、あなた様一人で救出に向かわれるのですか? さすがにそれは……」
「問題ありません。人々を幸せにするのがわたしの使命なので」

 答えになっていない答えを村長に投げつけ、ベルは出口のドアへ手をかける。
 そこで彼女の動きが止まった。

「……村長さんは、いま幸せですか?」
「え?」

 突然投げかけられた疑問に、村長はすぐ反応することができなかった。
 彼女の唐突な問いかけを、冷静になって考えてみる。

「そう、ですね……。正直に言ってしまえば、これから先のことを考えると、とても幸せとは思えません。ベル様に救われこそしましたが、村は壊滅的な被害を受けました。それにこれから先、ランデアはモンブルムの支配下に置かれることになるでしょう。……未来が明るいとは、とても思えませんね」

 それが村長の率直な思いだった。
 村の他の者たちも、似たような思いだろう。
 虐殺を生き残ったからといって、その先が幸せとは限らないのだ。

「そんなことにはなりませんよ」

 村長の思考を遮るように、ベルの透き通った声が響く。
 それは人の心の奥底に潜む恐怖や不安をかき消すように、強く彼の心を揺らした。

「あなたたちは必ず幸せにしてみせます。だから安心して待っていてくださいね」

 神々しさすら感じる彼女の姿に、村長はある予感を覚えた。
 彼女こそが、本当にこの国に平和をもたらす聖女なのかもしれない、と。

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