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エピローグ 神託

 ランデア東部の大都市、デムロム。
 かつては銀の名産地として知られた街である。
 銀の鉱脈が枯れた後は、大陸東部に位置するポルダと王都を結ぶ、中間拠点として発展してきた。

 通常ならば人々が行き交い、夜でも活気に満ちているはずの街はしかし、石のような静寂に包まれている。
 夜の帳が降りた街に、人影は一つもなかった。

 『解放軍』がデムロムの街に押し寄せたのは、つい先日のことだ。
 王都が陥落したとの知らせと、街に押し寄せた『解放軍』を前に、デムロムの街はあっけなく占拠されてしまった。
 領主の一族は捕らえられ、今は罪人たちと共に地下牢に収容されている。

 そんな人気がない街の中を、一台の馬車が走っていた。
 煌びやかな装飾が施された白銀が月明かりに照らされ、夜の闇の中で輝いている。

 やがて馬車は、ある建物の前で止まった。
 このデムロムの領主の館だ。
 今は領主ではなく、『解放軍』の大将の一人とその側近たちが仮住まいとしている。

「――着いたわよ」

 馬車の中に座る少女が、目の前の少年に話しかける。
 白銀の聖衣を身に纏い、その顔を白いヴェールで隠している。
 その隙間から、薄い水色の髪が覗いていた。

 少女の声を受けて、少年も目を覚ます。
 少女と同じ白銀の聖衣を纏っているが、少女と違って顔は隠していない。

 歳は十代の前半といったところ。
 身を覆う聖衣と同じような白銀の髪に、透き通るような白い肌。
 その少年を初めて見た者なら、これ以上白い人間が存在するのかと思わずにはいられないであろう。

 少年は眠そうに、瞳を半分ほど開いた。
 隙間から血のような紅色の目が覗いている。
 その顔立ちは少年でありながら少女のようでもある、魔性の魅力に満ちていた。

「神託が下った。『聖女が生まれる』だってさ」
「――聖女」

 聞きなれない単語を噛み砕くように、少女は呟く。
 そんな彼女の姿を眺め、少年は髪を弄りながら頭を整理し始める。

「アリアは聞いていないんだね?」
「そうね」

 特に気にした様子もなく、少女――アリアは少年の言葉に肯定の言葉を返した。

「今の『解放軍』から『聖女』なんていう存在が現れるとは思えない。となると、おそらくはヘルネかランデア……特に、つい最近まで抵抗を続けていた、ランデアで生まれる可能性が高いかしら」
「なるほど。それじゃあ僕はここに残るよ。めんどくさいし」

 ひらひらと手を振り、少年は瞳を閉じてため息をつく。

「……使命を放棄するの?」
「違うよ。デムロムの守りを固めるのさ。もしアリアが負けちゃったら、また一気に逆転されかねないしね」
「ペリゴールの方針には反するわ」
「神託が下ったって言えば、あいつも意見を変えるだろうさ。この神託は、『僕にだけ』下ったんだから」

 彼にだけ神託が下ったということは、その指示に従う必要があるのも、また彼一人だけ。
 アリアも、その意味がわからないわけではない。

「神託が下るなんて、神さまはよっぽどその『聖女』とやらを警戒してるんだろうねぇ」
「そうね。精々死なないように気をつけなさい」
「つれないなぁ……」

 そんなことを話しながら、二人は護衛と共に、領主の館へと入っていく。
 奥に進むにつれて、男たちの話し声が大きくなる。
 少年は頭が痛くなってきた。

「――あれほどの大河を、大軍が渡った前例がありません。船を用意するのも相応の時間がかかります。即席の橋をかけるにしても、大量の船を作るにしても、兵たちに泳がせるにしても、ここは一旦立ち止まり、足場を固めるべきではないでしょうか」
「そんな悠長なことは言ってられん! 陛下からは「早急にポルダを攻略せよ」との勅令を受けている! 明日にでもポルダ攻略を開始する必要があるのだ!」

 慎重に事を進めるべきと意見を述べる軍師に対し、それを一蹴するのはヒゲを長く伸ばした壮年の男だ。
 ランデア東部、およびポルダ攻略の第一陣を任された、モンブルム帝国第三軍大将、ゲールである。

 彼らの目下の課題は、ランデアとポルダを隔てる巨大な河川――ニール川をおよそ五千もの大軍が一気に渡り切る方法を考え出すことだ。
 ペリゴール帝はランデア占領後、速やかにポルダ攻略を始めることを宣言している。
 ゲールにそれができなければ、誰か代わりの人間がそれをやるだけのこと。
 ゆえに彼は、何が何でもポルダ攻略に乗り出さなければならないのだ。

 そんな最中、会議中の部屋の扉が、突如として開け放たれる。

「はーい。長ったらしい会議ご苦労様! でももう大丈夫。ボクたちが来たからね! 大船に乗ったつもりでいてよ!」

 大声でそう叫び、突如乱入してきたのは、まだあどけなさの残る白い少年だ。
 突然の乱入者に、軍師たちは呆気にとられた。

 少年のすぐそばには、彼と同じような白銀の聖衣を纏った少女が控えている。
「はぁ……」と嘆息しているのは、気のせいではないだろう。

 男たちは、そんな彼らの格好に見覚えがなかった。
 ただ、その姿や佇まいからして、只者ではないということだけはわかった。

 少年は部屋にいる人間を全員見回し、頷く。
 その顔はまるで、後は自分に任せろと言わんばかりの表情だった。

「ここの指揮はボクが引き継ぐ。大将以下、全員ボクの指揮下に入るように」
「なんだ貴様は! こんな子供どこから入ってきた! 警備の連中は何をしてるんだ! おい、誰でもいい、このガキをつまみ出せ!」

 ゲールがそう命令すると、衛兵たちは少年の腕を掴み、床へと膝をつかせる。
 まるで罪人が赦しを乞うような、そんな体勢だ。
 少年の美貌も相まって、それはどこか背徳的な光景にすら見えた。

 ゲールを見上げる少年は、まだ余裕の表情をしている。
 その瞳は、獲物を狙う猛禽のように爛々と輝いていた。

「――これはペリゴール帝からの直々の命令だ。それに逆らうことの意味、分からないわけじゃないよね?」
「お前こそ、陛下のお言葉を騙る罪の重さ、知らぬ存ぜぬで通せるとは思わんことだ。連れていけ!」
「はぁ」

 少年がため息を吐くと、部屋の中を一陣の風が吹き抜けた。
 そのあまりの強さに、少年と少女を除くその部屋にいた全員が目を閉じる。
 刹那、何かの液体が飛び散る音と、ゴトンという何かが落ちる音が部屋に響いた。

「え……」

 最初にそんな声を上げたのが誰かはわからない。
 その場にいた男たち全員が、同じような感想を抱いていたことだけは確かだ。

 激情で歪んだゲール大将の首が、床に落ちていた。

 首だけならまだいい。
 ゲール大将の身体は消失し、赤黒い液体に塗れた肉塊が部屋のいたるところに転がっている。
 つい先ほどまで彼が着ていた、軍服の残骸と一緒に。

「ひっ……!」

 大量の返り血を浴びたゲールの側近が、腰が抜けたようにその場にへたり込む。
 数多くの戦場を経験した彼らですら、ここまで人の原型を留めていない死体を見た記憶はない。
 まして、直接触れずに人を惨殺するなど、常識では考えられないことだった。

「そろそろ離してくれる? ああなりたいなら別だけど」
「ひっ、ひぃぃいっ!!」
「そうそう、それでいいんだよ」

 少年を取り押さえていた衛兵たちは、錯乱状態のまま部屋から逃げ出してしまった。
 身体の自由を取り戻した少年は、部屋中に散らばった肉塊を眺めながら「うんうん」と頷く。

「どうやらゲール大将は、敵対勢力との戦闘に巻き込まれて、不幸にも命を落としてしまったみたいだ。あと、床のゴミを片付けといてね」
「かしこまりました」

 少年の護衛が、慣れた手つきで床に散らかっているゴミを片付け始める。
 少年は男の頭部を足で小突きながら、再び口を開いた。

「で、こいつの次に偉いのは誰かな?」
「……わ、私ですが」

 ひとりの男が少年の問いに答える。
 彼はゲール派の中将たちの中でも、一歩抜きん出た能力を持っていた。
 この非常事態の中でも、他の者たちに先んじて反応できたのがその証左である。

「名前は?」
「はっ。ゴルドと申します」
「じゃあ、ゴルド。アンタにポルダ攻略は任せるね。ボクはデムロムの防衛に専念するから」
「……承知しました。ただ、一つだけよろしいでしょうか?」
「ん? なんだい?」

 ゲールの頭を蹴り飛ばした少年は、朗らかな顔で男に応える。

「……なぜ、ゲール大将を殺したのですか?」
「え? 皇帝の命令に逆らったんだから当然だろ? それにアリアがいれば、あんな川なんてすぐ渡れるんだから。オッサンの一人や二人ぐらい大目に見てよ」

 本当になんでもないことのように、少年は笑った。
 どこまでも無邪気な、年相応の笑い顔だった。

「……はっ。承知しました」
「それと、ふぁぁあ……長旅で疲れたから、部屋を用意して。今日からここにはボクが住むから、他の人たちは別の宿を探してね」

 どこまでも自分勝手に、少年はすべての物事を一人で決めてしまう。
 それを男たちは、ただひたすらに受け入れるしかない。
 自分たちの主人は、もう既に目の前の恐ろしい少年に変わってしまったのだから。

「ゴルド。早速だけど、ポルダ攻略は明日から始めてもらう。それと川を渡る方法は、このアリアに任せてもらえば大丈夫。みんなは他の部分をしっかりと準備してね」
「しょ、承知いたしました」
「まったく。勝手に話を進めるんだから……」

 呆れた様子で、アリアはため息をつく。
 しかし彼女に少年を止めるような様子はない。
 大将を殺してしまったのは少し問題だが、それで自分たちの力を示し、第三軍総司令の立場を手に入れることができたのだから、許容範囲内のことと考えていた。

「じゃあ、アリア。ポルダ攻略は任せたよ」
「はいはい。総司令官様の仰せのままに」
「うんうん。あぁ、楽しみだなぁ」

 少年にはある予感があった。
 聖女を名乗る存在が、少年の目の前に現れる。そんな予感が。
 彼に神託が下ったのなら、それは神に定められた運命とすら言うべきものなのだから。

「……貴方達は、何者なのですか?」

 それは、ゴルドの口から思わず漏れ出た疑問だった。
 彼の疑問の声に、少女は軽く息を吐き、少年は微笑を浮かべた。
 そして、告げる。
 自分達が何者であるのかを。

「――『第七使徒』、アリア」
「――ボクは『第五使徒』、レオン。神がこの世界を平定するために遣わした超人だよ。よろしくね」



 第一章 了

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