C97で頒布した天啓聖女の1話目となります。
どうぞお楽しみください。
──『すべての人間を幸せにしなさい』。
少女はたしかに、そんな声を聞いた。
慈愛と親愛に満ち溢れ、心の奥底にまで染み渡るような、神の声を。
その日から、少女は聖女になった。
彼女の目的は、ただひとつ。
みんなを、幸せにすること。
それだけだ。
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「はぁ……」
金髪の青年──アレクはため息をついた。
その長髪はくすみ、青色の瞳には疲労の色が濃く浮かんでいる。
容姿の劣化は、とある事情による心労のせいだが、今はそれとはまったく異なる要因が彼を疲れさせていた。
「……で。こいつか? 村の食料庫で盗み食いしてた、怪しい女っていうのは」
「怪しい女じゃないです! ベルです!」
「名前だけ言われてもな……」
アレクの足元に転がっているのは、縄でぐるぐる巻きにされた少女だ。
艶やかな長い黒髪が印象的で、ここの村人にしては服もみすぼらしい。
ほかに特徴と言えば、小さな鐘が付いた首輪をつけているぐらいか。
「はい。名前はベル。性別は女性。それ以外にわかっていることはありません」
「それだけか。出身は?」
「それが……森の中、としか」
衛兵の誰にも見つからずに、どうやって食料庫に忍び込んだのかは謎だが、腹を満たすとその場でそのまま眠りこけていたらしい。
そうして眠り込んでいる少女を、見回り衛兵が発見したというわけだ。
「はい! 森に住んでました! あそこはこの辺と違って、もっと木とか大きくて、全体的に黒っぽかったですけど」
『果ての森』とは、世界の最果て、『壁』の近くに広がっている森である。
独自の生態系が広がっており、とても人間が生活できる環境ではない。
空や海で人間が生きていけないのと同じだ。
「『果ての森』? そんな名前だったんですかあそこ。たしかにこの辺りと比べると木とかすごい大きいし、生き物も危ないのが多かったですけど」
「……『果ての森』に人などいるはずがないので、さすがに狂言の類(たぐい)とは思いますが」
少女――ベルのそんな言葉に、衛兵も困惑気味だ。
アレクも、どちらかといえば衛兵に近い感想を抱いていた。
「なるほど。今のところ、怪しい要素しか見当たらないな」
「そんなっ! わたしはただ、ものすご〜くお腹が空いていたので、「ちょっとぐらいならいいよね!」と思って食べ物を少し分けてもらっただけなんです!」
「明らかに人のものなんだから、ちょっとでもダメだろう……」
「お腹が空いてたんですぅー!!」
ベルはこちらの様子などお構いなしに、騒ぎ続けている。
自分の頭が鈍い痛みを主張し始めるのを、アレクは感じていた。
「あぁもう、騒ぐな騒ぐな……。いま何時だと思ってるんだ」
「まだ夜中ですよね! わたしも早く、ふかふかのお布団に包まれてぐっすり眠りたいです」
「……はぁ」
アレクはため息をついた。
早くこのバカの相手を終わらせて、少しでも仮眠をとりたい。
そんな気持ちが見え隠れしていた。
「今ため息つきましたよね⁉︎」
「疲れてるんだ……お前のような、変な女の相手をしている体力は──」
「アレク様!」
一人の衛兵が、息を切らしてアレクのもとへと走ってきた。
嫌な予感を感じつつも、アレクは尋ねる。
「どうした? 何かあったのか?」
「伝令から報告がありました。──『解放軍』が、すぐ近くまで来ているそうです」
「マズイな。もう追いつかれたのか」
「急いでここを離れましょう。幸いなことに、夜明けまでまだ時間はあります。暗闇に紛れればなんとか逃げられるかと」
アレクは少しだけ考え、頷く。
「すぐに出発する。……口惜しいが、今の僕たちにできることは少ない。村人たちに避難指示を出せ。食糧と金品を持てるだけ持たせて、奴らがいなくなるまで、森の中に隠れさせるしかない」
「はっ!」
そんなアレクたちの会話に、置いていかれている少女が一人。
「……えーと、わたしはどうなるんですか? こんなぐるぐる巻きにされたままじゃ、ご飯も食べられないんですけど」
「何のお咎めも無しに解放するなど言語道断、と言いたいところだが、僕たちも急いでいるからな。不問にしてやる」
「やったー! ありがとうございます!」
降って湧いた幸運に、ベルは感謝した。
まだ夜中なので、もうちょっとだけここにあるものを食べてから、寝ごこちがよさそうな場所を見つけて寝よう。
そんなことしか考えていないのは、もちろんアレクが知るはずもない。
「あとは、ここに留まるなり逃げるなり、好きにしろ。……この村の住民ではないというのなら、逃げるのが得策とは思うが」
「ふぇ?」
「いや、なんでもない。それではな」
アレクとその従者たちは、そのままどこかへ行ってしまった。
残されたのは、縄を解かれて自由の身になったベルと、大量の食糧だけだ。
おそらく村人たちのために残していったのだろうが、ベルが再びこれに手を付けないと本気で思ったのだろうか。
「アレク様、ね。偉い人なのかな。もぐもぐ」
ずっと森に住んでいたベルには、彼が何者なのかわからなかった。
なんとなく、身分の高そうな人だなぁとは感じたが。
ちなみに身分が高そうだなぁとは思っても、それでベルの対応が変わることはない。
身分が高いということがどういうことなのか、ずっと森で暮らしてきたベルにはさっぱりわからないからだ。
「もう捕まる心配もなさそうだし、お日様が登ってくるまではここにいようかなぁ」
なにやら遠くのほうが騒がしいが、それを気にするよりも眠気が勝っている。
いつのまにか、ベルは意識を手放してしまっていた。
お楽しみいただき、ありがとうございます。
次回更新は来週の月曜日となります。